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どうしようもない悲しみ・・そういう感じでは無いのです。
テラというわんこと楽しく過ごす長くてリアルな夢を見た後のような
そんな寝ぼけたような気持ち・・そんな表現がぴったりです。
テラはほんとに妖精のような幻だったんじゃないかと思えるほど、
清らかな魂の子でした。

でも、写真を見ると、夢ではなく現実であることを思い知らされ、
どうしてあげればテラはもっと生きられた?
どうしてあげなかったから、テラはこんなに早く逝ってしまった?
ふと、そんな疑問と後悔と悲しみが湧き上がったりもします。

私のこの後に続く文章に
現実的・科学的ではない表現で疑問に感じる方もいるかと思いますが、
そう考えることで心が救われるのも事実。
「自分に都合よく解釈してるよね」そう、さらりと流してくださいませ。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

最後となった夜の事。

これまでの調子の悪い時と同じように、
パンティングが続き、少し息づかいが落ち着いて横になったと思うと、
たぶん苦しかったのでしょう、、
体を起こし、伏せの状態でいようとするけど、頭をあげていられない。
そんな状態でした。
なのに、お水は子供用洗面器一杯飲み干す勢いの欲しがり方。
そして、少し落ち着いた息づかいになる時間がだんだん減ってきていました。

まるで何かと戦っているようでした。

もしかして、テラは、”私の理想の最期”の日に逝こうと頑張ってるんじゃないか?
それまでも、そう思う時があったのですが、
その夜の状態から、気力はともかく、
この膿が吹き出し続ける肉体で後7日は厳しい、そう思いながら、
さすったり、撫でたり、抱きしめたり・・。

そうしていると、テラが私の肩に顔をこすりつけてきました。
その仕草は、テラが元気な時によくやった甘える時の仕草でした。
「あ、久しぶりだ、これ。」そう思いました。
瞬間、「まだ、頑張れるかも?」・・そう思ったのですが、
今思えば、それは、最期を悟ってのものだったようです。

マリンも、「テラちゃん、痛くてかわいそうだね。」そう言うと、
テラの口元をクンクンし、いつものようにテラの耳を舐めました。

その後、深夜にかけても、状態は悪く・・・
大きく体で息をするテラに、、堪えられず、
「テラちゃん・・苦しいね~、辛いね~。もう、そんなに頑張らなくていいよ。
早くその痛くて辛い体から、出ちゃいな。
私なら、大丈夫だよ。
体は無くなっても、テラと私は同じ魂・・私の中に戻っていくだけだよ。」そう言っていました。

そして、
「今度生まれかわったら、今度は、丈夫な脚の体をお願いしますって神様に言うんだよ。」
そう言った時、テラは私の目をじっと見ました。
『そういうお願い、してもいいの?』そんな目でした。
「テラが良かったらまた、私の下へ来て。絶対見つけてあげるから・・。」そうも言いました。

この日から遡った数日前の夜の事。
テーブルで何か作業をしていた私を、自分の寝床からジッと見つめるテラがいました。
苦しいだろうから、「テラちゃん、ごろんしな~。」そう言っても、
ただ、見つめ続けるのでした。
なんか「見納め」みたいじゃん、ダメダメ。そう、嫌な感情を打ち消しました。
でも、それはその通りだったんです。
その大きな目を通し、私を見られる時間に終わりが近づいているのを、
気づいていたのだと思います。

そして、未だ夜が明けない朝5時。
苦しそうな息遣いのテラで、トイレに連れ出すのもためらわれましたが、
さすがに排泄させないとまずいと思い、起そうとしましたが、前脚の力もゼロ。
それまで、ずっとしてきたハーネスを外し、介護補助着を付け、後ろ脚にはいつもの補助布。
それでエイッと持ち上げました。
以外にもうまく持ち上げられ寝たきりになっても、私抱えられるわ。そう思いました。
しかし、その時、補助布を持ち直そうと、膝でテラのおなかを支えた瞬間。
おなかで満タンだったおしっこがじゃ~っと流れました。
もう出るに越したことはなく、
「テラちゃん、(もたもたしてて)ごめんね。そうそう、このまま、全部しちゃいな」
そう言って抱えたまま、室内で排泄。
でもね、、排泄についてはきちっとしていたテラ、これは辛かったと思います。
私がまっすぐ庭に行き、下ろしていれば、テラはちゃんと庭で用が足せたのに・・。
でも、その後、すっきりしたのか、少しの時間、横になり静かな息で眠りました。

6時過ぎ。
若いマリンはもう、動き出したくなる時間。
トイレをさせる為、シャッターを上げ、庭に出しました。
私も出ると、庭のキンモクセイがその日初めて香りました。
「テラちゃん、また今年もキンモクセイが香り始めたよ~」
部屋に入り、そう、テラに声をかけました。

その後、朝の支度をしている時、
突然、テラが男性のようなすごい声を出しながら嘔吐を3回ほどしました。
マリンが驚いて見るほどの声でした。
でも、出るものはなく、ただ、透明なよだれのようなものと泡が少し出ました。

水をあげると、飲みました。が、力が続かず、鼻先がジャポンと水の中に。
もう、病院に連れていくのも無理か?そうも思いましたが
でも、栄養剤とこの吐き気止めの注射なりしてもらえば、少しは持ち直すかも。
そう思ったのです。

その後、また、嘔吐し、その時、前日最後に舐めたドロッとしたフードを少しだけ吐きました。

9時前。
マリンのごはんや出掛ける支度等準備をし、
まず、マリンを車へ。(マリンは途中にある犬保育園に預ける予定でした)
そこで、犬の飼育に詳しい園長にも相談をしてみようと考えていました。
そして、テラ。
これまでのように、抱き上げ車へ。
数日前から、車の後ろにヨガマット・バスタオルを敷き、そこに横たわらせていました。
そのスペースに置いた瞬間、テラの鼻から青っ洟のようなドロッとしたものが出ました。
それはその時が初めて、なんだろ?と思いながらもすぐ吹き取り、
家に戻り、戸締り等して車に戻ると・・・
車外からちらっと見えたテラの首が不自然に伸びているのが見え、
慌てて近づくとテラのおなかの動きは止まっていました。

首を伸ばし舌を出し、嘔吐する時のような苦しそうな恰好でした。
声をかければ、意識が戻るかもそんな、直後のような感じで
名前を呼びましたが、ダメでした。
苦しそうな様子がかわいそうで、美犬のテラにはこんな顔は見合わない。
とっさに、舌を口に入れそっと閉じさせてあげました。

マリンはその横のバリケンの中で、じっと私達の様子を見ていました。

これがテラの最期。

後で考えると、脚の膿が体全体に回り、ぎりぎりの状態でテラは息していたのだと思います。
そして、最後、私が抱えて移動させなければ、あと数時間テラは生きられたのかも知れません。
でもね~・・

この後の事は写真とともに・・。

20160927 1
段ボールの棺に納めたテラ。
亡くなった直後、軽く開いていた口は、いつの間にか、いつものようにきちっと閉じたきれいな口元に。

20160927 2
送り出す時、棺に入れたもの。
お気に入りだった、ベッドカバーを敷いて。洗濯したてに、嬉しそうに顔ゴシゴシしてたよね。
大好きだった場所・道の駅に咲くコスモス。母と妹に少しだけ摘んできてもらました。
逝く朝、香り始めた庭の金木犀、一枝。テラもこの香り嗅いだよね。
そして、庭に咲いてたラベンダー。花を刈り取る時はいつも横にいたね。
庭になったミニトマト。こっそり、盗み食い・・してたね~。
パン。これも好きだったね~。
最後まで食べてくれた、ササミチップ。これからは、これは「テラチップ」って名前にするね。
そして、大大大好き、焼き芋。
「虹の橋の向こうに、マキシーとモモという男の子がいるから、分けてあげてね」そう言ってたくさん入れました。

20160928 1
9月28日 午後1時 火葬となりました。
テラの煙が上がり始め少しすると、少し強めの風が吹き出しました。
きっとあの風に乗り、遠くまでそして、高く昇っていけたね?

そして、4日が過ぎた週末。
20161001 2
成田山へ
テラを想い、写経をし、納めてきました。
それは、云うならば、神様へのテラの推薦状。
神様、テラはオール5の優等生、しかも、会った人みんなを癒す優しい素晴らしい子でしたよ。

そして、
20161001 3
お骨になったテラの下に、ブロ友Aさんから素敵なお花が届きました。
まさか、私達のわんこがエンジェル同級生になるとは・・。


そして、残されたマリン・・・
20160928 2
テラが寝ていた場所で、テラを愛おしむように眠るマリン。

テラに見せびらかすように、イタズラしたりはしゃいだり、邪魔してたマリン。
でも、怒られたり不安な時は、テラの耳を舐めたり、お尻の匂いを嗅いだりしてた。
マリンにとっては精神安定剤だったテラ。

テラが亡くなる少し前から、足裏をよく舐めるようになっていました。
皮膚が弱いこともありますが、精神的なものも大きいような・・。

この子の事を今は心配してあげないといけません。
ひとりでいたことがないマリン。

そして、まるでこの日が、こんな状況が分かっていたかのように出会った、犬幼稚園の園長さん。

昨日から、マリンは日中、幼稚園に預けることになりました。

ね、テラが段取りしたんでしょ?
長い留守番、テラは我慢してくれたけど、寂しかったんだよね。
だから、マリンにはそんな思いをさせたくなくて、出会わせてくれたんだよね。
しかも、やんちゃ娘で私が手こずるとも思って、躾まで教えてもらえる人と。

テラ、あなたは私が尊敬する魂の持ち主でした。
私の自慢の相棒でした。
これから先も、ずっと、これまでと同じように、心の中にいるあなたに話かけるでしょう。
どうぞ、見守っていてね。


これまで、テラを可愛がってくださった皆様、ありがとうございました。
たまに思い出して頂けたら、にっこり尻尾を振って、テラはその傍らにお邪魔することと思います。

20150811 3
大変お世話になりました。
また、いつかお会いする日まで・・。


追記 10月7日
おしまいの言葉は、テラからのメッセージとして書きました。

今日、読み返したら、誤解する表現だったようで・・。
このブログは、テラの思い出も織り交ぜながら、
まぁ、ぼちぼち続けていくつもりです。
失礼致しました。
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2016.10.06 / Top↑
こんにちは。
テラが逝き、一週間が経ちました。

唐突ですが・・。
自分の理想の最期って、一度くらい考えたことありますよね。。
私のそれは、、
誕生日前日(10月4日)、金木犀が香り、コスモスが揺れる小春日和に、
椅子でうたた寝・・していたと思ったら、気づいたら死んでた(変な表現ですが)。です。
誕生日前日ってのは、その日が○○歳ジャストの日だから。
端数無しがいいなと思って。ただ、それだけ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

前々回のブログ、その後から逝くまでのテラの経過を書きたいと思います。
いろんな想いが溢れ、文脈や表現がめちゃめちゃかも知れませんが、思いつくまま書きます。
自分への記録でもあり、長くなります。
どうぞ、ご了承ください。

なかなか止まらないテラの脚からの膿は、8月終わりの培養検査の結果、
緑膿菌とその他の菌でした。
最初からその菌が優勢だったのか、ステロイドの薬のせいで、抵抗力が弱ったせいかは不明でした。
緑膿菌は、身の回りに普通に存在している菌だそうですが、
抗生剤に耐性を持ってしまっていて効果的な薬がないのだそうです。
そんな中、8種類ほどの抗生剤の中からテラの膿に効きそうな2種に薬を変えて様子を見ました。

20160912 1
9月12日。 
少し調子の良い日は、食事のおこぼれおねだりに私の近くにやってきた。
テラのベッドが気になってすかさず座るマリン。

20161001 1
テラの脚の手当一式。
粘着伸縮包帯(ほんとは使い捨て)、これを洗うのが毎晩の日課でした。


薬を変えて2~3日、膿が少しサラッとした感じのものに変り、効いたか?と思いましたが、
結局、元の状態に戻り、膿の出ている傷の皮膚が再生され塞がってくると、
また別の場所が赤くなり、紫になり、血豆のようになり皮膚が破れ、出血、そして、膿がでる。
その繰り返し、そして、その傷が膝の後ろの方にも点々と広がり出していきました。

この頃のテラは、炎症の状態によってか、パンティングが激しく辛そうな時もありましたが、
フードは食べない時でも、お肉、チーズ、パン、これらは、パクパク食べてくれていました。
ステロイドと抗生剤2種(錠剤と、水で練った粉末剤)は、スライスチーズに巻いてだすと、
パクッとためらいなく食べてくれたので助かりました。
20160913 1
人間用で売られてるもので一番塩分が少なかったのがこのチーズ。
もう、塩分気にするような段階ではなかったんですけどね・・。

そして、9月18日病院。
朝、食欲が無いと思ったら体温40℃。
ステロイドを飲んでいるため解熱薬が飲めない。脚の洗浄と、点滴を受け帰宅。
熱は、夜には下がったようでした。
が、この翌日、左後ろ脚にも浮腫みが出現。
・・あ~、やっぱりもう無理なのか?そんな気持ちになっていました。

そして、週が明け、9月20日、21日、テラは、どういう訳か、元気になりました。
お昼に帰った時もびっこを引きながら玄関までお迎え。
ゴハンも、準備が終わるのが待ちきれず、以前のようにキッチンまで急いで歩いてきました。
ふやかしフードも元気な時と同じ量をガツガツと平らげました。
(と言っても、もう、この頃は、何故か固形物はボウルから直に食べることはできず、
すべて、オヤツをあげるように手から食べさせていました。)

もしかして、奇跡が起きる??そう、思ったのでした。

が、その2日間をピークに、また、フードはほとんど食べず、
鶏肉、牛肉、豚レバー、茹で卵、パン、玄米ご飯、かぼちゃ、など、
いろんなものを用意し、食べてくれるものをあげるような状態に。
それでも、スライスチーズ巻きお薬と、手作りササミチップ、
これは意欲的に食べてくれました。
その他の食べ物は、
正確には、食べたいという意欲はあるけど、体が動かない。
口をパクッと開けて食いつこうとするけど、空を切るだけ。
テラはそんな様子で、可哀想で切なくなりました。
でも、外に連れ出す時に脚に通す歩行補助布は、
「テラちゃん、お散歩行こうか?」などと声をかけると、
通せるように重い足を少し動かしてくれて、出かける意欲はありました。

しかし、22日頃から、脚の膿の匂いが、少し変わり始めました。
腐敗臭と言いますか、、ちょっと嫌な予感のする匂いでした。
そして、反対の左脚の浮腫みもだんだんひどくなり、
お腹のリンパ腺のしこりも広がり、
かつ、脚と同じような赤い斑点のようなものもできてきていました。

その週末日曜は、まぁまぁ気力はあったので、いつものように実家へ。
母に撫でてもらい、満足気でした。パンは喜んで食べました。
帰りには、お気に入りの「道の駅」へ寄り、芝の上に横たわりいつものように川風を感じ、
そして、後ろ脚を支えてあげながらも、おしっことうんち。


そして、その翌朝(26日)、一切の食べ物を拒否しました。
朝、トイレの為の公園へ。
前脚の力も弱って、ピーンと伸びたような状態。
抱えて、立たせて、立ってる姿勢を慣らしてから歩かせる。
そうして、おしっこだけはしてくれました。

朝食。チーズ巻き薬さえも拒否。
小さいステロイド粒は、魚肉ソーセージに埋め込みひと口大の大きさで上げると食べました。
抗生剤も同じようにあげてみましたが、錠剤は半分は吐き出し、半分は口に残っていたようで、
飲み水のボウルに吐き出しました。
練った粉薬は、牛乳に溶かし、注射器で口に流そうとしましたが、全部だらだらと流れ落ち失敗。

もう、欲しがるのはお水だけでした。(薬の副作用でもあるのですが)
気になりながらも、会社へ。
お昼は、私より早く家に来れる妹に、スーパーで焼き芋と好きそうな物を買ってきてと頼みました。
食べたもの。
焼き芋、数口。
パン(ランチパック・たまご)1個弱
バニラアイス、これは結構意欲的に舐めながら食べました。

夕方、心配した妹も会社帰りにまた寄ってくれました。
いつものように、車で公園に。
降ろして、支えながらもどうにか、おしっこ。
ここで、ササミチップ3~4枚食べました。
その後はもう、立ち上がる気力もない状態に。

帰宅し夕飯。
バニラアイス少し。
レトルトのトッピングフード、2~3口くらい(舐める)

気力はまだあっても、もう、脚の状態が限界。
もう、いよいよ寝たきり介護の覚悟をしないといけない段階になったと感じました。
翌27日、病院に連れていくことに会社に有給を出してきていました。
とりあえず、栄養剤を点滴してもらい、寝たきりになった場合の排泄のさせ方、
最期が近づいた時の対応などを相談し、病院は、それで最後にしよう。
そう、決めました。

そして、最後の夜がきました。
20160926 1
最後の夜のテラ。
まさか、翌朝に逝ってしまうなんて・・。

スミマセン。途中ですが、今日はこの辺で。

コメント欄は、閉じさせて頂きます。
次回に開きます。
では。


2016.10.04 / Top↑
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